ワールドビジョンのことを怪しいと思う人って結構いるようで、「ワールドビジョン 怪しい」とか「チャイルドスポンサーシップ 怪しい」というキーワードでも結構検索されているみたいなんですよね。
中には「チャイルドスポンサーシップ 偽善」なんてキーワードで検索されることもあるみたいです。
まあ、最初のイメージでいうと、やはり正直怪しいと思ってしまいますよね。
途上国の子どもたちの1対1の支援プログラム
で、これ理由を考えてみると、やっぱりこういう慈善活動になにかうさん臭さを感じるというか、警戒心を持ってしまうというところが大きいのかな、と思います。
で、なぜ警戒心を持ってしまうかというと、これはやはり、こういう慈善活動を装った詐欺が実際にあるということが一つと、そもそも慈善活動ということに関する不信感というか、慈善活動ということに対して偽善を感じてしまうというのがあるのかな、と思います。
前者はわかりますよね。慈善事業や募金活動を装って寄付されたお金をネコババしたり、集めたお金を本来の目的とは違うことに使っていたりということが、過去に実際にあったということが、警戒心を生んでしまったということ。
これについては、現在でもこういった詐欺がある可能性はあるので、一定の警戒心はあったほうがいいと思います。
問題は後者で、これは私もなくはないんですが、慈善活動そのものに対する不信感です。これは、ある種の人間不信ですね。
例えば、そもそも慈善活動をする人のことが理解できないので、不審に思ってしまうという心理です。あるいは、自分のことも手一杯なのに人のことまで面倒みれないと、どこかで思っているために、誰かの為の活動自体に不信感というか警戒心をもっている、ということです。
で、これはある種の恐れもあるのかな、と思います。
つまり、こういう慈善活動、例えば途上国の子どもたちを飢えや危険から救う、という活動に協力しないということによって、自分自身が否定されてしまうんじゃないか、という恐れのような心理です。
つまり、支援しない人に対する無言の圧力みたいなもの(実際にそういうものがあるかどうかは別にして)を感じてしまって、そういう支援をする人たちに対する恐怖のような感情ですね。
こんなに可哀そうな子どもたちがいるのに支援しないの? たった月に4500円だよ、それで子どもたちが救われるんだよ、と言われているような圧力を無意識に感じてしまって、そういう圧力かけてくる(ような気がする)支援団体に対する警戒心みたいなものですね。
「いや、こっちも大変なんだよ、そんな他人の支援なんかしている余裕はないよ」と言っても「途上国の子どもたちは餓死したりしてるんだよ、どうして助けようとしないの?」と言われそうな気がするんですよね。
まあ、何を優先するかは人それぞれで、自分の生活を優先するのは当たり前ですし、ゆとりというのも人それぞれなので、仮に支援するといっても線引きは必要なので、この線引きがある以上”偽善”に思えてしまうのも仕方がないともおもいます。
ちょっと何を言っているのかわからなくなってきましたが、この慈善を強制しそうなところに、こういった団体に対する警戒心が生まれるんじゃないかな、思うんですね。
いや、もちろん実際には慈善活動を強制するということはないと思いますよ。あくまでも、勝手に無言のそういった”圧力”を感じてしまうところに警戒してしまうということです。まあ、自業自得というか、自作自演というか、そんなような感じです。
なので、広告なんかに泣いている子どもの写真とかが表示されていると、なんだか勝手に”圧”を感じて、抵抗というか不信に思ってしまうんですよね。
素直に受け止めてしまうと、相当無理してでも支援しないといけなくなるんじゃないかという恐怖心とも言えますかね。ま、こういった無意識の葛藤が、こういった慈善活動を”怪しい”と思わせてしまうのかな、思うわけです。

