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タイのほほえみのわけ?

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タイについて、何を知っているかというと、意外と何も知りませんね。
 
ほほえみの国と言われているのは知っていますが、どうしてそんなふうに言わているのかはよく知りませんね。まあ、仏教徒が多い国ということで寛容というのはあるんですかね。でも、日本も仏教が多いことを考えると、理由はそれだけではなさそうですがね。
 
日本の仏教は、もともとの仏教と違ってかなり日本のオリジナル色が強いといいますね。
 
釈迦がインドで開いた仏教は、修行することによって自分で悟りを目指すというイメージです。たしか神も仏も、そういった存在はみとめていない教えですよね。
 
よく入国のときの書類で宗教のところにブッディストと書くと、神の存在を信じない無神論者の扱いになって、テロリストとして警戒されると言う話を聞いたことがあります。
 
まあ神を恐れないからなら悪いことも平気でやるだろう、ということみたいですが、テロに関しては一神教徒のほうが多いような気がします。
 
話がそれましたが、要するに日本の仏教とほほ笑みは繋がりそうであまり繋がらないということですね。
 
日本のお坊さんには、正直あまりいいイメージがない、というのもありますが、タイについては、人生において宗教、信仰の占める割合が日本より大きいとは思いますね。
個人的に、周りの人も、自分は無宗教だと言っている人は多いですしね。でも実際は、実家は浄土真宗だったりするわけです。
 
どうも話がそれますが、つまりタイの仏教はいわゆる上座部仏教ということで、日本のものとは違うということですね。そして違うということが、タイの”ほほえみ”に繋がっているということなんじゃないかな、と思うわけです。
 
 
上座部仏教って、昔は小乗仏教って呼ばれていましたよね。大乗仏教は誰でも悟りを開くことができるということで、多くの人が悟りの乗り物に乗れるということで大乗。小乗仏教は、出家して修行したものだけが悟りを得られる、ということで悟りの乗り物が小さいので小乗だと教わったような気がします。こんな説明によかったですかね。
そうなると、日本の仏教は大乗仏教ということですか。たしか念仏を唱えただけで救われるとかありましたよね。
 
 
でもやはり、日本の仏教は簡単過ぎて、やはりピンときませんね。いや、わかりますよ。そういう設定にして多くの人を救おうとしたってことですよね。クソ貧乏で働き詰めの人たちに修行しないと救われません、などと言っても救いにはなりませんし、病気の人に修行しろといってもそもそも無理ですからね。もともとの考えだと救われない人を救おうとしたっていうことですよね。
 
でも、この方向性だとほほえみは無理がある気がしますよね。やはりちゃんと普段からキチンと修行をしている人じゃないと、ほほえみの国と呼ばれるほど、国民全体がほほえんでいることはできないと思うんですね。
 
とまあ、ここまで書いて、つまりタイの人もほほえみは、日本とは違うけどやはり仏教的なバックグランドがあるからなんじゃないか、と思うということを言いたかった。
我ながら浅いですね。
 
大抵の人は、そんなこと知っていますよね。タイの仏教はそもそも生活に密着していますから。
 
 
調べたら、タイの僧侶の数って30万人いるらしいです。タイの人口が大体6676万人ということなので・・・。これって多いですか? 
 
いや多いか。ちなみに日本の場合を「日本 坊主 割合」で調べてみると、「強制は少数でも87%が丸刈り」と出てきましたが、あ、これは甲子園球児の髪型の話ですね。なんか”坊主まるもうけ”という言葉のイメージがあったからこのキーワードで調べてみたんですが、これではわかりませんね。「日本 お坊さん 人数」で調べると37万人だそうです。日本の人口が1億2580万だということなんで・・・。
 
で? 正直よくわかりませんが、比率としてはタイのほうが多いみたいです。
まあ、むしろ生活への密着度のほうが意味があるかもしれませんね。タイでは実際、仏教はかなり生活に根ざしているようです。
 
タイの仏教では、輪廻転生が信じられているそうです。なので良い来世を迎えるには現世において得を積むことが必要ということで、お布施とともに良い行いを積んでいくわけですね。
 
なかなかほほえみと結びつきませんが、他人に親切にするということで得を積んでいくということが宗教としても生活としても、国民に根付いているいるということですね。だから、ほほえむ。もう、そういうことにしておきましょう。
 
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