カンボジアは、開発途上国のなかでも貧しい国として認識されています。
個人的な記憶でも、最初に難民という言葉を知ったのも、カンボジアという国名とセットでしたし、いわゆる海外への援助、支援の最初のイメージはカンボジア難民に対するものでした。
それは、当時のCMのイメージが強く、私も幼いながらも世界にはそういった貧困や飢えに苦しむ人たちがいる、という漠然とした認識を持ちました。
外務省の、政府開発援助 ODAのホームページをみると、カンボジアにおける貧困問題に関する記述があります。
このように見ると、現在のカンボジアの貧困は、1970年前後からおよそ20年以上もの長期にわたる戦乱と国際的孤立のために、暴力的破壊の可能性にさらされ続け、発展への方途を閉ざされてきた結果として生じていると言って過言ではないであろう。
とあります。
戦乱とありますが、親米のロン・ノル政権が容認した、カンボジア東部諸州への米軍の集中爆撃、あたりからポルポト政権の国民の大量虐殺、ポルポト政権崩壊後の内戦、のことと思います。
ポルポトの粛清をベトナムに逃れた元クメールルージュ地方幹部たちはベトナムでカンプチア救国民族統一戦線を作り、ベトナムの支援を受けポルポト政権を倒し、人民革命党政権を擁立します。
ポルポト政権下で犠牲になったカンボジア国民は100万人とも200万人とも言われ、シンプルに考えるとポルポト政権、崩壊してよかったね、と思いそうですが、この人民革命政権は東側寄りということで、西側諸国の多くの国は承認せず、開発援助もしませんでした。
それどころか、国連においても国の代表権はポルポト派に与えられました。西側諸国に拒絶された人民革命政権は、国土の復興をソ連、ベトナム他の東側諸国、および各国NGOの支援に頼るしかありませんでした。
このような国際的な孤立状態は91年10月にカンボジア紛争の政治的解決のためのパリ和平協定が調印されるまで、10年以上に及んだ。
もちろん、自国民を大量に虐殺した、ポルポトのそもそもの思想的な要因は大きいとは思いますが、西側と東側の対立関係という政治的事情があったにせよ、要所要所でアメリカが大きくカンボジアの貧困の原因に関係しているんだな、と思いました。
おそらく、遠い記憶でみたカンボジア難民への寄付、募金のCMは、アメリカによるカンボジアへの集中爆撃からベトナム(カンプチア救国民族統一戦線)のカンボジア侵攻などによって生まれた難民に対するものだったんだな、と思います。
当時は、全く知りませんでしたが、遠くカンボジアでの歴史の転換に、無意識に触れていたんだな、と不思議な気持ちになります。
いずれにしても、そうした歴史的背景のもとに現在のカンボジアの貧困問題があるのだな、ということを認識した次第です。
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