街頭でやっていたのは、無料の検査でした。意外に並んでいる人がいてビックリ。意外と何も考えてない人って多いんですね。
まあ、でももしかしたら仕事が休めるかも、とかそういうことなんでしょうか。困ると思うんですが、よくわかりません。
チャイルド・スポンサーシップのような、途上国の子どもたちを支援するプロジェクトって実は意外にあるみたいで、関心がそちらの方へ向くと、いろいろな支援団体が目につきます。
途上国の女の子、特に人身取引の被害から守ることに特化したようなプログラムもありましたね。
有名人の方が、名前を出して支援団体を援助している、というのも結構ありますよね。これは、その団体のプログラムに説得力を持たせるのに効果的ですね。あの人が支援しているなら、これはいい団体、組織だ、と私たちは思います。
一人で何人もの子どもを支援している人もけっこういますよね。
時々、駅前とかで募金活動している人、団体の人もいますが、個人的にはほとんどの場合スルーしてしまいます。
一言でいうと、なんというか唐突なんですよね。常に、そういうことにアンテナを張っている人だと、ある程度の関心を引くことができるかな、とは思うんですが、通常は、途上国の子どもたちのことを意識して生活している人は、あまり多くないんじゃないかな、と思うんですよね。
仕事が終わって、今日は帰ってなに食べようかな、とか、仕事のあの件について、なんてことを考えているときに、可哀そうな子供たちのために募金を、などと言われても、いまいちピンとこないというか、間が悪い感じがしますよね。
今、それどころじゃないんだよなあ、なんて思ってしまうのは、わりと普通なんではと思います。
まあ、意識が低いってことはあるとは思うんですが、それでも、自分たちの生活も結構大変で、本当にそれどころじゃない人も多いと思うんですね。悩みの質はもちろん違うでしょうし、例えば、命の危険があるということも大抵はないと思うんですけど、それぞれが抱える問題はそれぞれにとって、やはりそれなりに重要ですよね。
いや、でも可哀そうな子どもたちがいるんです、救いたいと思いませんか?と言われれば、それはそう思います。でも、決して自分たちも必ずしも余裕があるわけでもない、ということなんですよね。
大きな意味で言えば、子どもは人類の宝ですから、当然大事にしないといけない、ということはほとんどの人が思っていることだと思うんですが、普段の生活ではもっと身近で小さな問題に追われて生活している人が多いということですね。
なんだか、何を書いているのかよくわからなくなってきましたが、普通にいろんな個人的な問題を抱えて生活している人が、コーヒー1杯奢ってくれといわれても、なかなかそんな気にならないのは当然ですよね。
街を歩いていて知らない人に、コーヒー奢って、と言われてもそんな気にならないのと同じですね。例えば、この子のためにといって、子どもを連れてきて、毎日1杯のジュースを買ってあげてください、と言われても、そこには、たとえ150円といえど納得できる十分な理由が必要になる、ということですね。当たり前ですが。これは、おそらく10円であっても、1円であっても同じだと思います。
こう考えると、こうした活動って、いかに広報が大事かって思います。街頭だけではやはり難しいんじゃないかな、と思います。
