ベトナムのことを知ろうとすると、避けて通れないのがインドシナ戦争とベトナム戦争です。
このあたりの歴史は結構ややこしいんですよね。今回はインドシナ戦争について調べてみました。この記事を読めばインドシナ戦争がどういう経緯で起きたかがわかると思います。
ベトナムを知るうえで重要なインドシナ戦争のことがわかれば続くベトナム戦争のことも分かりやすいと思います。
この記事でインドシナ戦争のことを知って、続くベトナム戦争とあわせてベトナムについて理解を深める参考にしてもらえれば幸いです。
インドシナ戦争とは
ベトナム民主共和国がフランスからの独立を目指した戦争
インドシナ戦争は、ベトナム民主共和国がフランスからの独立を目指した戦争です。いわゆる独立戦争です。
ベトナムは、1887年からフランスの植民地でした。
1939年に第二次世界大戦が始まり、翌1940年にフランスがドイツに降伏すると、今度は日本軍がフランスの植民地だった現在のベトナム、カンボジア、ラオス、いわゆるフランス領インドシナに進駐してきます。
1945年に第二次世界大戦が終わり日本が敗北すると、ホー・チミンを指導者とするベトナムの独立を目指す民族組織であるベトナム独立同盟(ベトミン)が全国で活発になり、同年9月2日にホー・チ・ミン主席がハノイでベトナム民主共和国の独立を宣言します。
1946年インドシナ戦争が本格化
フランスはベトナム民主共和国を認めず、かつての植民地であるベトナムの支配を継続をしようとベトミンの掃討を始め、1946年には、北緯16度線以南を制圧しサイゴンに傀儡政権であるコーチシナ共和国を樹立。
反発するベトナム民主共和国に対し、フランスはコーチシナ共和国を臨時政府と主張していたが、ベトミンのゲリラ攻撃を理由にこれを撤回。
1946年12月19日、ベトナム民主共和国のホー・チミンによる全国抗戦の宣言によりインドシナ戦争として本格化しました。
コーチシナ共和国は、1949年にフランスがベトナム民主共和国に対抗するためにバオ・ダイを元首に据えたベトナム国に併合されます。
このベトナム国は実質的にフランスの傀儡政権でした。
中華人民共和国が、ベトナム民主共和国を承認したことに対し、アメリカはフランスの傀儡であるベトナム国を承認。さらにアメリカはフランスに対して支援を開始します。
フランスの植民地支配からのベトナムの独立戦争は、ここから東西対立の要素がはいってきます。つまり西側(資本主義)と東側(共産主義)の対立要素です。
フランスに対するアメリカの支援は、戦費の7割を超え、アメリカは西側の中心国として大きくこの戦争に関わっていきます。
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フランスの歴史的大敗 ディエンビエンフーの戦い
ベトミン(ベトナム独立同盟)のゲリラ攻撃に苦しんでいたフランスは、状況打開のためディエンビエンフーにベトミンを誘い出す作戦を立てます。
盆地地帯であるディエンビエンフーに基地を設け、ベトミンを誘い集め、ゲリラではない主力部隊との戦いを計画したのです。旧日本軍の飛行場もあったため物資の供給は空路から可能でしたし、フランス軍の武器装備はベトミン軍を勝っていました。またラオスとの国境付近のディエンビエンフーでラオスからベトナムへのベトミンの輸送路を塞ぐ目的もありました。
1953年11月20日、フランス軍はディエンビエンフーの占領に成功します。フランス軍は要塞(基地)を構築してベトミン軍の攻撃に備えますが、ベトミンをディエンビエンフーにおびき寄せて攻撃する作戦には不安もありました。
しかし、物資の供給ルートが空路しかないことや、ベトミン軍に火砲、大砲で攻撃された場合に逃げ場がないといったことを不安視して指摘する声はベトミン軍の戦力を軽視する司令部に無視されてしまいます。
フランス軍は基地周辺に防御陣地を組みますが、約5万人のベトミン軍は基地周辺のジャングルに人海戦術によって静かに布陣していきます。
フランス軍はベトミン軍が、大口火砲などの近代兵器を持っていないと思っていましたが、実はベトミン軍は中国からの武器の支援を受けていました。日本軍が保有していた武器も攻撃に活用されたといわれています。
完全にベトミン軍をなめ切っているフランス軍をよそにグエン・ザップ将軍率いるベトミン軍はフランス軍基地周辺を包囲。人海戦術で塹壕や火砲の設置など布陣を築いていきます。1954年3月13日に総攻撃を開始します。
火砲を想定していなかったフランス軍は劣勢に陥り、中国式の人海戦術で次から次へと湧いてくるベトミン軍に苦戦し疲弊していきます。雨季に入り雨にぬかるんだ泥の中で身動きがとれす、積み重なった死体が物凄い悪臭を放つという最悪の環境の中で、疲弊しながら戦うフランス軍ですが、基地内の軍司令部にベトミン軍が入り、フランス軍司令官のカストリが捕虜となったことで56日間に及ぶディエンビエンフーの戦いはフランスの降伏で終了します。
この戦いの敗北によりインドシナ戦争でのフランスの敗北が決定的になったといわれています。
ジュネーブ協定によりフランスはベトナムから撤退
その後フランスはジュネーブ和平交渉でベトナム民主共和国の独立を認め、ジュネーブ協定に基づきインドシナから撤退しました。
ジュネーブ協定により、フランスのインドシナ半島からの撤退と、ベトナム民主共和国の南ベトナムからの撤退が決まりました。
南北ベトナムは一時的に北緯17度線を境に分断し、あらためて南北統一選挙によりベトナムの統一を図るということになりました。
アメリカの意向を受けたベトナム国で、国民投票によりベトナム共和国が成立、ゴ・ディン・ジエムが初代大統領として就任します。
ベトナム共和国は、ベトナム民主共和国との統一をアメリカの意向に沿って拒否し、南ベトナムのベトナム共和国と北ベトナムのベトナム民主共和国の間で対立が激化していきます。
1960年12月に南ベトナムで、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成されると、アメリカとソ連を巻き込みベトナム戦争の泥沼へハマっていくことになるのです。
というわけで、インドシナ戦争の経緯についてざっとお伝えしてきました。
お伝えしたインドシナ戦争は第一次インドシナ戦争と呼ばれることもあります。続くベトナム戦争を第2次インドシナ戦争、1077年からのベトナムとカンボジアの対立からカンボジアの内戦をあわせて第三次インドネシア戦争ということもあります。
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なぜインドシナ戦争でフランスは負けたのか
インドシナ戦争は、フランスの撤退で終わりをつげますが、戦力で勝るフランス軍がなぜ負けてしまったのでしょうか。
劣勢のキッカケとなったフランス軍のレア作戦の失敗
フランス軍は、インドシナ戦争が本格化すると、ベトナムの主要拠点を制圧する作戦で戦いを進め、ハノイ、サイゴン、ハイフォン、フエ、ダナンといった重要拠点の制圧に成功します。
しかし、ベトミン側は北部の山岳地帯や内陸の農村地帯に逃れゲリラ戦を開始します。
フランスの劣勢のきっかけとなったのは、1947年10月のレア作戦の失敗です。
作戦は、ベトミンの本拠地であったバックカン市に、空挺といわれるいわゆる落下傘部隊が降下しホー・チミン、グエン・ザップらベトミンの首領を捕らえ、その後3つの縦隊で中心地帯を攻撃する、というものでしたが、ホー・チミンら首領たちには逃げられ捕えることは出来ず、体制を立て直したベトミンの反撃され、作戦は途中で中止されました。
フランス軍はベトミン側にかなりの損害を与えましたが、ホー・チミンら首領たちを捕らえることは出来ず反撃を受けたため、作戦は失敗とされました。これをきっかけにフランスは劣勢になっていきます。
ベトミン軍を見くびっていたフランス軍
ディエンビエンフーの戦いのところでも触れましたが、フランス軍はベトミン軍を舐めていたフシがあります。
ベトミン軍は近代的な武器や大口径の大砲などはもっていないだろうという思い込みもありました。しかしベトミン軍は中華人民共和国からの軍事支援で大量の武器を持っていましたし、旧日本軍の武器も活用していました。フランス軍はベトミン軍の戦力を見誤っていたともいえますね。
ディエンビエンフーの作戦では盆地地域での籠城に、火砲攻撃を受ければ逃げ場がない、ということを危惧の声もあったようですが、これは司令部に無視されてしまいます。
また、フランス軍はベトミン軍の人海戦術も甘くみていました。ディエンビエンフーの戦いでは5万人ともいわれるベトミン軍がフランス軍の基地の周りを包囲していました。次から次へと終わりのないベトミン軍の攻撃、夜襲に、フランス軍は次第に疲弊していきました。
フランス軍の多くは外人部隊だった
インドシナ戦争では本国フランスでは厭戦気分が強かったと言われています。そのためフランス人の徴収兵は使い物にならなかったといいます。
実際ディエンビエンフーに導入されたフランス軍の17個歩兵大隊のうち実に7個大隊が外人部隊だったということです。いわゆる傭兵ですね。ドイツ人の他インドシナに残った元日本兵も現地採用されたということです。外人部隊はディエンビエンフーでも激しく戦ったということですが、大儀という意味ではベトミン軍にはかなわなかったかもしれません。
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まとめ
というわけで、今回の記事「なぜインドシナ戦争でフランスは負けたのか」では、
- インドシナ戦争とは
- なぜインドシナ戦争でフランスは負けたのか
についてお伝えしました。
インドシナ戦争について、
- ベトナム民主共和国がフランスから独立を目指した戦争
- 1946年にインドシナ戦争が本格化
- フランスの歴史的大敗 ディエンビエンフーの戦い
- ジュネーブ協定によりフランスはベトナムから撤退
ということと、なぜインドシナ戦争でフランスは負けたのかでは、
- 劣勢のきっかけとなったフランス軍のレア作戦の失敗
- ベトミン軍を見くびっていたフランス軍
- フランス軍の多くは外人部隊だった
ということをお伝えしました。
インドシナ戦争については、現在でもベトナム、アメリカに大きな影を落とすベトナム戦争やベトナムについて知ったり、考えたりするのにとても重要な要素になります。
この記事「なぜインドシナ戦争にフランスは負けたのか」が参考になれば幸いです。
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